タイトル  正史 三国志 1(魏書 1)
 出版社  筑摩書房 
 著者  陳寿 裴松之(注釈) 今鷹真・井波律子(訳)
 分類  文庫
 定価  1500円+税 
 備考                                                       
 
1巻は魏の歴代君主(1~4)と皇后(5)、董卓、袁紹、袁術ら、魏と関わりの深い大勢力の諸侯(6)で構成されている。曹操(1)、曹丕(2)、曹叡(3)、曹芳・曹髦・曹奐(4)の伝は各人の伝記であると同時に本紀として当時の主要な事件を網羅している。

印象に残るのが各種の公的文書の長さである。特に「文帝紀(魏書2)」の禅譲を巡るやりとりは145ページから182ページまでの37ページに及ぶ。史料的価値はともかく、自分で読む分には目が滑る。なお、これらの詔勅や上表文はすべて注釈によるものであり、本文中にはない。一方、「先主伝(蜀書)」の本文には劉備を漢中王に推戴する上表文(5巻57ページ)や劉備が皇帝を称した際のやり取り(5巻60ページ~64ページ)が掲載されていることを陳寿の祖国に対する思いと解釈することもできるという(5巻489ページ)。ちなみに、孫権の皇帝即位に対する文章は注釈さえもない。

「三少帝紀(魏書4)」の曹髦の死に対しては一切の事件を語らず、ただ死んだことだけを記す(345ページ)。その後に続く皇太后の詔令を読めば曹髦が殺されたことを読み取ることはできるが、やはり陳寿が晋に仕える以上、主君殺しを直接描写することははばかられたものであると思われるが、裴松之が注釈にひく『魏晋世語』と『晋諸公賛』は西晋、『漢晋春秋』と『魏氏春秋』は東晋の書籍であるため、晋代のタブーであったわけでもないらしい。
 
 
 タイトル  正史 三国志 2(魏書 2)
 出版社  筑摩書房 
 著者  陳寿 裴松之(注釈) 今鷹真・井波律子(訳)
 分類  文庫
 定価  1456円+税  
 備考                                                       
 
2巻は中小の諸侯(7~8)、曹一族と夏侯一族(9)、荀彧以下国家の重鎮(10~13)が続く。ちなみに、最初に登場する「魏の臣下」は「公孫度伝」にまとめられている公孫康、立伝されている人物としては張燕である。

「魏書1(武帝紀))」の本文には見られないが、注釈では曹操が夏侯氏の血を引いているという説を紹介している。実際、曹一族と夏侯一族は「諸夏侯曹伝」としてまとめられおり、評にも両家は代々婚姻関係を結んできたと記している。しかし、近年のDNA鑑定では曹操個人と夏侯氏には血縁関係がなく、「魏書1(武帝紀))」が正しいようである。

また、「第十一 袁張涼国田王管伝」の「管寧伝」には、当時の世捨て人たちが付伝されている。注釈ではあるが、『蒼天航路』に登場した寒貧の事績も掲載されている(375~376ページ)。
 
 
 タイトル  正史 三国志 3(魏書 3)
 出版社  筑摩書房 
 著者  陳寿 裴松之(注釈) 今鷹真(訳)
 分類  文庫                                                
 定価  1500円  
 備考
 
3巻は謀臣(14)、刺史(15)、太守(16)、武官(17~18)、皇族(19~20)、官僚(21~22)をまとめている。「魏書19(任城陳簫王伝)」は卞皇后の息子たちの伝であるが、実際には曹植の伝と彼の残した賦や上表文が大半を占める。曹植は後に「詩聖」と称されることになるが、その作風は自らの境遇を嘆くものが多い。皮肉な見方をすれば、曹丕は弟の才能を最大限に発揮できる環境に置いたことになる。

続く「魏書20(武文世王公伝)と合わせて、魏の皇族冷遇政策に対しては、陳寿の評だけでなく、裴松之も各種の文献を引いて批判をしている。各資料とも「呉楚七乱の乱」の弊害を忘れたわけではなく、藩屏に権力を与えすぎたという問題点を踏まえたうえで持論を述べている。

一方、晋では皇族を厚遇して大国を乱立させ、権力を分割した結果、「八王の乱」による内乱を招いた。『三国志』を書き上げた後に巻き込まれたであろう陳寿はともかく、それを歴史として認識しているはずの裴松之や孫盛らが「八王の乱」による皇族厚遇政策の弊害について触れず、魏よりも過去の事例からの批判を行うというのは持論に対して都合の悪い事実から目を背けているように思える。
 
 
 タイトル  正史 三国志 4(魏書 4)
 出版社  筑摩書房 
 著者  陳寿 裴松之(注釈) 今鷹真・小南一郎(訳)    
 分類  文庫                                               
 定価  1500円+税  
 備考                                                       
 
4巻は官僚(23~25)、名地方官(26~27)、司馬家に対する反逆者(28)、異能者(29)、異民族(30)の伝からなる。「魏書30(烏丸鮮卑東夷伝)」の末尾には『魏略』空の引用による「西戎伝」が補われており、おそらくは地中海東部までの地理が語られている。

「魏書29(方技伝)」は上述の通り異能者たちの伝である。華佗(医者)、杜夔(音楽家)、朱建平(人相見)、周宣(夢占い)、管輅(卜占)らが名を連ねる。この時代における医者の地位の低さは『蒼天航路』などで触れられていたが、華佗が患者の寿命を見抜いたり、病状に対して適切な処置を施す様子は、管輅が相手の寿命を見抜き、霊障に対して適切なアドバイスをする描写は同じように記されており、当時においては同レベルの扱いであったことが伺える。

「華佗伝」には華佗の治療を受けた人々の逸話が列挙されているが、いずれも『演義』では採用されていない。逆に『演義』において華佗が周泰や関羽を治療したエピソードは無名の別人によるものを華佗に置き換えている。華佗を主要人物に絡ませるための演出であることは理解できるが、本来神医と呼ばれた医術を出さずに、他人の医術だけで済ますのは本末転倒と言う気もする。

469ページから477ページにかけて倭に関する記述がある。現代の日本人は人名や地名の「正解」を知っているため、それを本文内の表記に当てはめることは良く行われているが、確かに知的好奇心を刺激されるパズル的な楽しみがある。

これ以外にも461ページには現代の朝鮮半島にあたる馬韓、468ページには辰韓の地名が列挙されている。また、482ページではインド、484ページから488ページでは地中海東岸の地勢を紹介している。483ページは東南アジア、481ページ、489ページと490ページの地名は中央アジアのものと思われる。これらも現代の地名に当てはめる「遊び」ができる
  
 
 タイトル  正史 三国志 5(蜀書)
 出版社  筑摩書房 
 著者  陳寿 裴松之(注釈) 井波律子(訳)         
 分類  文庫                                               
 定価  1500円+税  
 備考                                                       
 
5巻は1冊で「蜀書」のすべてを構成する。「魏書」や「呉書」では当主の伝からはじまるが、「蜀書」では劉焉親子(1)からはじまり、続いて劉備(2)、劉禅(3)と続く。漢末の解説によれば、これは劉璋を暗愚な君主と定義し、彼を屈服させた劉備の伝につなげることで劉備の益州征服を正当化する目論見があるという。

以下、皇族(4)、諸葛亮(5)、武官(6)、謀臣(7)、官僚(8~9)、叛臣(10)、直言の士(11)、学者(12)、益州出身の武官(13)、諸葛亮以後の指導者(14)、蜀末期の人材(15)をまとめる。最後を飾るのは楊戯は『季漢輔臣賛』の著者であり、同署の内容を引用して伝を立てるほどの情報がない人物を紹介している。呉壱(呉懿)などは良く知られた人物であるが、「失其行事、故不為傳(事績が分からないので、伝を立てなかった」と陳寿自身が記している。

28ページの注釈によると、霊帝の時代の末期に各地で反乱が勃発した際、劉備は曹操とともに兵の招集に当たったという記事がある。また、本文中には記載がない者の、劉備は反董卓連合にも参加しているという(誤読した箇所があったので情報を修正した)。

また、本書を確認する限り、関羽が初めて主体的に行動したのは徐州陥落時の降伏、張飛は長坂橋の撤退戦である。それ以前の活躍については完全なフィクションもあれば、張飛の対劉岱戦、関羽の対王忠戦のように劉備の戦果が割り振られたものもある。勝ち戦が部下の功績となったうえに負け戦は史実のままであることが、劉備の戦下手を印象付ける原因になっていると思われる。

譙周が劉禅に降伏を勧めたことについて、陳寿は「劉氏無虞、一邦蒙賴、周之謀也(劉禅の一族が憂うことなく、国家も恩恵を被ったのは、譙周の知恵である」と好意的に評価する。一方、裴松之は、それに対する批判として孫綽と孫盛の意見を引用しているが、孫綽は君臣もろとも死ねと言い、孫盛は徹底抗戦するべきであったと言う。ちなみに、2人とも幼年期に「永嘉の乱」による西晋の滅亡を体験している。

私見ではあるが、劉禅の降伏は劉璋の降伏と同一の性質を持つと考える。つまり、劉禅の降伏が批判されるのであれば、劉璋の降伏も批判されるべきであり、劉禅が徹底抗戦するべきであったとするならば、劉璋も徹底抗戦するべきであったと思うが、裴松之は劉璋の降伏に関する批評を提示しておらず、前述の孫綽と孫盛も劉璋の降伏に対する見解は述べていない。陳寿は、いずれの降伏も必然的、肯定的に捉えているため、その点については一貫性がある。

「鄧張宗楊伝(蜀書15)」の「宗豫伝」には、宗豫と廖化が260年ごろに70を過ぎていたという話がある。これに基づけば、廖化の生年は180年代後半ということになる。『演義』の第27回、廖化の初登場シーンでは「少年」と記されるが、この場面は200年であるため、廖化は10代半ば、あるいは前半と言うことになり、描写と合致する。

光栄の『三國志』シリーズの廖化は「黄巾党の乱」に従軍していたことになっているが、『三国志』はもちろん、『演義』にも廖化が「黄巾党の乱」に従軍していたとは明記されていない。ただ、「黃巾錦衣」といういで立ちを見て関羽が黄巾党の残党であろうと察するだけである。廖化の年齢的にも、廖化は黄巾党の残党に合流したか、黄巾党に扮した盗賊であり、蜂起時の黄巾党には所属していなかったものと思われる。
   
 
 タイトル  正史 三国志 6(呉書1)
 出版社  筑摩書房 
 著者  陳寿 裴松之(注釈) 井波律子(訳)         
 分類  文庫                                               
 定価  1500円+税  
 備考                                                       
 
6巻は孫堅と孫策(1)、孫権(2)、孫権以後の皇帝(3)、群雄(4)、皇后(5)、一族(6)、重臣(7)の順。太史慈は武官をまとめた「呉書10」ではなく群雄として「呉書4」に記載されている。孫堅に関して言えば、華雄を破っていることはともかく、洛陽入りしたのも孫堅だけというのは意外であった。史実の反董卓連合は孫堅と徐栄に敗れて撤退した曹操以外は動きがないまま解散しているのである。

また、注釈によると、董卓軍内の不和による自壊とはいえ、孫堅は呂布の属する董卓軍も退けている。ちなみに、この部隊を率いていたのは胡軫である。史実の彼は呂布の上司なのであるうえ、この一連の戦いでは死亡していない。そんな彼が『演義』では程普に敗れて即退場する役割になっているのかは不明である。

孫堅が玉璽を入手したという逸話も注釈に見られる。なお、「玉璽」は皇帝が諸々の書類に押す判子のことであり、書類の性質によって6つの玉璽を使い分ける。いわゆる「伝国の玉璽」は、これとは別に秦より伝わる財宝である。『演義』において「玉璽」が複数存在しているのは、あながち間違いでもないのかもしれない。

孫堅が入手した「伝国の玉璽」を孫策が袁術に差し出されたという話は『演義』の創作である。そのため、玉璽は呉の滅亡まで孫一族が保有していたことになる。しかし、孫晧が晋に降伏した際、上述の6つの玉璽は差し出されているが、「伝国の玉璽」は含まれていないことから、裴松之は孫堅が玉璽を入手したという説を否定している。

孫策については、『演義』第15回の印象が強い。この回は彼の主役回であり、劉繇、厳白虎、王朗らを撃破して勢力を拡大し、各地の豪傑たちを仲間に加えていく様子がテンポよく1話にまとめられている。しかし、史実においては劉繇や王朗は朝廷から派遣された正式な地方長官であり、孫策は袁術の勢力拡大のために彼らを追い払った後、袁術から独立したかたちとなる。また、厳白虎は地方の豪族であり、徐州の陳登の支援を受けて孫策と対立していたらしい。

日本人としては、127ページの夷州と亶州の捜索に注目したい。特に亶州は会稽の東方にあるとされ、これは「魏書30(烏丸鮮卑東夷伝)」における倭の所在地と同じである(4巻471ページ)。「魏書30(烏丸鮮卑東夷伝)」の倭国の距離を測ると南に向かっているというのは有名な話であるが、亶州と倭を同一視したことで生じた誤りであるという推測が成り立つ。

「魏書30(烏丸鮮卑東夷伝)」には、松盧、伊都、奴の3国の位置関係を「東南」で示しているが、この「東」と「南」を表す倭人の言語が入れ替わっていると考え、以後の「東」と「南」を入れ替えることで、「正しい倭の位置」に修正したものと思われる。

また、諸葛亮と諸葛瑾は同年代の親族を「兄弟」と表現したもので実の兄弟ではないとする説がある。しかし、本書384ページ、裴松之が『江表伝』から引用した孫権と諸葛瑾の対話によれば、孫権は諸葛瑾に対して「卿與孔明同產(卿と孔明は同腹)」と言っており、諸葛瑾も特に否定はしていない。『江表伝』が誤りでないのなら、やはり二人は実の兄弟なのではないかと思われる。
   
 
 タイトル  正史 三国志 7(呉書2)
 出版社  筑摩書房 
 著者  陳寿 裴松之(注釈) 小南一郎(訳)
 分類  文庫                                               
 定価  1500円+税  
 備考                                                       
 
7巻は学者(8)、戦略家(9)、武官(10~11)、文官(12)、陸遜(13)、皇族(14)、対山越政策の功労者(15)。「呉書」内で目立つのが「功績に対して兵〇〇人を与えた」という描写である。8巻206ページの解説によると、これは諸将の私兵を増やしたということであり、彼らの独立性が強かったことの表れであるという。

本書においては、郝普の描写が印象に残った。彼は蜀漢の人物であるが、荊州が陥落した際に呉に臣従している。しかし、本書97ページによると、それ以前の小競り合いの時点で呂蒙の偽情報に騙されて呉に降伏している。この時は蜀漢と呉の講和が成立したため、郝普も蜀漢に帰還しているが、これに基づくのであれば、郝普は建安19(214)年と建安24(219)年の二回、呉に降伏したことになる。なお、建安19(214)年の降伏の際、呂蒙は真相を知って打ちひしがれる郝普を前に「因拊手大笑(手を打って大笑いした)」という。思ったよりも性格が悪い。

ちなみに、この「呉書9(呂蒙伝)」には最初の降伏のことは記されているが、二度目の降伏に関する記述はない。また、郝普が蜀漢に帰還したとする記述は「呉書9(呂蒙伝)」にしかない。「呉書1(呉主伝)」には最初の降伏のことだけが記されており(6巻82ページ)、「蜀書15(楊戯伝)」に引用される「季漢輔臣賛」には二度目の降伏のことだけが記される(5巻480ページ)。

丁奉も廖化と同じく長寿で知られる人物である。若いころは甘寧らの部下であったという(153ページ)が、詳細は不明である。活動した年代を確実に特定できるのは孫亮が即位し、冠軍将軍に任命された建興元(250)年(153ページ)、死去したのは建衡3(271)年である(156ページ)。甘寧は建安20(215)年までの事績を確認することができるため、丁奉は20台で彼の下にいたのだとしても、丁奉は190年代生まれということになり、271年に80代で死去したことになる。一応妥当な時系列であると言える。
   
 
 タイトル  正史 三国志 8(呉書3)
 出版社  筑摩書房 
 著者  陳寿 裴松之(注釈) 小南一郎(訳)         
 分類  文庫                                               
 定価  1500円+税  
 備考
 
8巻は地方長官(16~17)、異能者(18)、権臣(19)、呉末期の人物(20)。本書は潘濬の伝からはじまる。潘濬は荊州陥落の際、呉に降った人物の1人である。『季漢輔臣賛』では麋芳、士仁、郝普と同列に扱われ、「作笑二國(魏と呉からも嘲笑された)」とまで言われているが、潘濬は彼らとは違い、関羽が死ぬまで呉には降伏せず、戦後に孫権自らの説得によって呉に従った。陳寿の評も「公清割斷(公正、清廉、果断)」とあり、同じく蜀漢から流出した人物として黄権と対比するべきであると思うが、『演義』などの評価は天と地の差がある。

「呉書18(呉範劉惇趙達伝)」は風占いの呉範、星占いの劉惇、算術占いの趙達という3人の占い師をまとめる。さらに注釈では書道の皇象、囲碁の厳武、夢占いの宋寿、画家の曹不興、人相見の鄭嫗を挙げて「八絶」と総称する。

『蒼天航路』の698話では、魏に臣従を誓う孫権に対して曹操が趙達、皇象、厳武、曹不興に加えて渾天儀(天球儀)を作った葛衡の引き渡しを要求する場面がある。ここでは占い師の4人は不要としているが、実際には趙達も上述の通り占い師であり、その技法は数理を極めることで運命を読み解こうとするものである。

この3人は孫権に技術の引き渡しを拒んで冷遇されたという点で共通する。後に孫権は予言者の王表を厚遇したが、死の間際に逃げられており、文字通り死ぬまでオカルトに傾倒していたようである。このようなエピソードは『演義』ではオミットされているが、逆に占いとはほとんど縁のない曹操が時代の合わない管輅の助言を受けたりするなど、史実や人物にそぐわないエピソードが挿入されている。

8巻430ページ中、『三国志』の内容と解説は211ページで終わる。以降は年表、官職表、人名索引が続く。索引は全8巻分を網羅しており、全文中1か所にしか出てこない人物などを探す際に有用である。ただし、並び順は姓と名に分け、姓の50音が同じである場合は画数の少ない順となっている。例えば単なる50音である場合、曹操(そうそう)、宋忠(そうちゅう)、蘇飛(そひ)となるが、本書の順序は蘇飛(そ・ひ)、宋忠(7画の「そう」・ちゅう)、曹操(11画の「そう」・そう)である。これは直感的には非常に分かりにくい。